隠れ家的、旧・修道院のテラス Le couvent des Récollets
東駅を背に左手、鮮やかなオレンジ色の垂れ幕が気になる建物がある。
一見、何があるのか分からず、躊躇してしまうかもしれない。ここは旧・修道院の一部で、17世紀以来、使用用途に合わせて解体、増築、改装を繰り返されたという歴史をもつ。
建物の基礎となるのは、聖フランシスコ会で静修を重んじた革命派、静修派修道院。貧困からの願いを基本とした静修派修道院建築の順序に則り、まずは1603年にチャペルの着工から始まり、186年の歳月をかけてこの修道院の建設が行われた。
18世紀初頭には200を超える修道士が集まるという繁栄ぶりだった。
以後、フランス革命が突発した1789年に徴発され、兵舎、紡績工場、1794年には養老院へと形を変える。チャペルを縮小し、1802年からは末期患者のためのホスピスとなるが、1860年、ナポレオン3世の意向でホスピスは立ち退き、サン・マルタン軍事病院となる。
増階工事と壁面の統一が行われ、1913年には、結核菌を発見した、軍医、ジャン・アントワーヌ・ヴィルマンの名前を取って、ヴィルマン病院と改名。実は、結核菌は1882年にロベルト・コッホによって発見されたとされるが、それ以前の1865年にヴィルマンが発表した時点では、認められなかったのだ。また、抗生物質を意するantibiotiqueアンティビオティックという言葉を作ったのも、彼である。
この間、19、20世紀のパリ都市区画計画、1931年には東駅の拡大により、回廊の一部を壊し、敷地を狭めることを余儀なくされる。そして、18世紀時の建物を対角線に区切る形で新しい囲い壁が作られた。
1968年に軍事病院の時代は幕を閉じ、1973年に、U字型の建物の翼となる部分が壊される。庭園はサン・ルイ-ラリボワジエール大学病院、パリ市立公園、ヴィルマン広場の建設に当てられた。残った建物はパリ・ヴィルマン建築学校となり、20年間続いた。その後、1991〜92年にはアーティスト集団が不法占拠し、火災によって終止符が打たれる。
1999年にはパリ市によって改装され、現在の姿に。今日では、ワークショップやセミナー等を通して建築の発展を図る建築センター、メゾン・ド・ラルシテクチュールとして、また世界中から集まるアーチストや研究者を受け入れるレジデンス、地域のアソシエーションセンターの役割を果たしている。建築センターが請け負った内装は若手建築家によるこだわりが見られるそうだが、レンタルスペースとなっているため、旧・チャペルなどはイベントがない時はみられないのが残念。
じゃ、イベントがないと入れない場所なのね、と思われるが、実はここに隠れ家的カフェがあるのだ。テラスが気持ちよい、いい天気の日、大通りの喧騒を逃れ、静粛な修道院のムードと緑に囲まれてお茶なんていかが?
本を片手に日光浴を楽しむ常連さん、おしゃべりに花を咲かせるマダム達。各テーブルとの間隔が広いため、満席となっても、プライベートな空間が保たれる、というのは通常、カフェのテラスでは味わえない贅沢さ。お庭一帯がテラススペースになった、広々とした空間。カフェ自身は、カウンターで注文するセルフ形式となっている。フランスでは少ない、カフェ・フラッペと呼ばれる、日本人だったら夏に飲みたくなる、アイスコーヒー(3,5ユーロ)があるのもポイントが高い。
Maison de l’architecture【メゾン・ド・ラルシテクチュール】
148 rue du Faubourg Saint Martin 75010 PARIS
メトロ : 4、5、7番線 Gare de l’Est
開館時間 : 11:00〜19:00、土・日14:00〜19:00
カフェAの営業時間 : 11:00〜19:00、土・日14:00〜19:00
閉館日 : 月
http://www.architectes-idf.org/
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