自由とプリンセスを讃える炎 Flamme de la Liberté
『自由の炎Flamme de la Liberté』は1989年に、ニューヨークの『自由の女神像』の修復作業に対する感謝を記し、米国からフランスに寄贈された。
アルザス地方出身の彫刻家、フレデリック・オギュスト・バルトルディ(1834-1904)の代表作である、『自由の女神像』、正式名は『世界を照らす自由La Liberté éclairant le Monde』。1886年のアメリカ合衆国独立100周年に、フランスから米国へ贈られた友好の印であり、内部の鉄柱による構造はエッフェル塔の作者、ギュスターヴ・エッフェルが手がけている。その世界を照らす自由とされる、松明部分のレプリカが『自由の炎』である。高級ブティックが並ぶモンテーニュ大通り、ジョルジュ・サンク大通りがセーヌ川にぶつかる場所、アルマ橋脇に位置する。
この広場のちょうど下のトンネル内で、1997年8月31日に起こったプリンセス・オブ・ウェールズ、ダイアナの交通事故。同乗者である婚約者、エジプトの億万長者の息子、ドディ・アルファイドと共にリッツ・ホテルのメルセデスベンツに乗車。有名人を追っかけ回すパパラッチの餌食となっていた彼女は、当日も出発点のヴァンドーム広場から追っかけられていた。
トンネル入口で右の壁に衝突。その衝撃で2車線に跳ね返され、13番目の柱に突っ込みストップ。ドディ・アルファイドの即死に対して、病院での彼女の死は、事故現場での1時間に及ぶ応急処置というフランスの救急医療事情が米国緊急医療専門家から非難された。また、事故を否定する暗殺論も後を絶たない。
英国王太子との結婚、ファッショナブルな妃としてのイメージ、過食症、エイズ啓発活動などの慈善事業、そして離婚…。ダイアナにまつわるエピソードは多く、波瀾万丈な36年の人生がアルマ橋の片隅を後にして、もう10年が経つ。
そして、悪夢の翌朝、花束に覆い尽くされていた『自由の炎』。数日後に、記念碑の広場は、ダイアナもファンだった、ニューヨーク生まれの20世紀を代表するソプラノ歌手の一人(1977年パリ没)、マリア・カラスMaria Callasの名前を取って、マリア・カラス広場と命名された。
以来、仏米友好関係を象徴する『自由の炎』は、世界中から訪れる彼女のファンによる花束が絶えない、ダイアナ記念碑ともなっている。
Flamme de la Liberté【自由の炎】
Place Maria Callas 75016 Paris
メトロ : 9番線Alma-Marceau
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