パリを歩けば広告塔にあたる Colonne Morris
パリといえば、エッフェル塔、凱旋門、ルーブル美術館など、有名な観光名所をまず思い浮かべるが、変哲もない街角にもパリのエスプリが漂っている。ギマールのアール・デコのメトロの入口、夕方になるとオレンジ色の灯りを灯す街灯、雑誌や新聞を販売するキオスク。そんな都市の公共小建造物、モビリエ・ユルバンmobilier urbainにシャッターを切る方も多いかと。
コロン・モリスcolonne morrisもそんなパリの情景には欠かせない広告塔。広告塔とはいっても、劇場や映画といった芸術、スペクタルに限られた広告掲載のみが許可されている。
コロン・モリスの歴史は19世紀まで遡る。演劇やサーカスが繁栄した当時、街頭には広告が咲き乱れた。秩序を正そうと、1839年から簡易トイレと広告掲載スペースが一体となったコロン・モレスクcolonne moresqueを設置。1854年、ナポレオン3世の下、この公衆トイレ広告塔は内部にガス灯を設置、外部との隔たりを作り、素材も石から鋳鉄製となる。
1868年から、ガブリエル・モリスGabriel Morrisの印刷所がこの広告市場に乗り出す。
ベルリンのアーネスト・リトファスErnst Litfassによる広告塔、リトファスゾイレからアイディアを得て、コロン・モレスク同様、広告塔以外の用途も果たす塔、コロン・モリスを編み出した。
モリス同様、印刷畑のリトファスが生んだリトファスゾイレは、庇がついたコンクリート製のシンプルな円柱。それに控えて、コロン・モリスは緑の鋳鉄に3面の広告スペースを有し、その上部の六角形の庇の角にはライオンの頭、その上のドームは鱗柄を伴い、先端にはアカンサス(葉アザミ)の葉が飾られているといった、エレガントな様相である。
トイレ広告塔は悪臭などの理由から1877年に姿を消し、掃除用具の物置を兼ねた150のコロン・モリスがスペクタル広告業界を、その後15年に渡って独占した。今日見られるコロン・モリスは当時のレプリカである。また、パリ以外にもフランスの大都市に点在している。(次写真左 : オペラ座裏ラファイエット通りの貴重な古いタイプ / 右 : パリ近郊、サン・ジェルマン・アン・レー市のモデル)
そんなコロン・モリスだが、今世紀に入って絶滅危機にさらされている。2006年、パリ市長、ベルトラン・ドラノエはマレ地区、ルーブル美術館界隈などの景観、そして歴史的建造物の保護の下、部分的広告禁止令を掲げた。同時に歩道の拡大等の都市区画整備も重なり、223のコロン・モリスが消えた。このコロン・モリス消滅にはもちろん、反対運動も繰り広げられている。すでに、広告塔という役割だけでなく、パリの景観に溶け込んだ象徴の一つでもある、コロン・モリス。是非、今後も保存して欲しいパリの小建造物である。
こられの広告塔は、当初から広告代理店が広告掲載費として、建造からメンテナンスを請け負っている。近代的な公衆トイレや電話ボックスを兼ねたり、回転したりする現代版コロン・モリスを編み出したのは、1986年からこの市場を請け負っているデコー社JC.Decaux。
デコー社では、歴史あるコロン・モリスに変わる新しい広告塔の開発として、シャン・ド・マルス公園の平和の壁の作者でもあるジャン-ミッシェル・ウィルモットなど今世紀を代表するデザイナーメンバーを起用している。しかし、デザイナー新型設備と合わせて、オリジナルのデザインを重視した改良新型コロン・モリスも取り入れているため、現状では町並みが急変することはないはずだ。
エッフェル塔もポンピドーセンターも建設時はパリの景観にそぐわないと反対を得たが、今日ではパリのシンボルとなっている。そう思うと、新しいデザイナー建築も時間とともに、街角に溶け込み、パリに欠かせないものに成りえるのかもしれない。
それでも、パリのエスプリ溢れた、コロン・モリスの保存に私は一票だ。
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